2022年10月28日金曜日

10月26日(水)6年修学旅行② ~平和学習フィールドワーク・他

 この日の午後、平和学習ボランティアの方を3名お招きして、浦上地区で平和学習フィールドワークを行いました。その後、片足鳥居と被爆クスを見に行きました。子ども達にとって大変充実した素晴らしい平和学習となりました。


 3つの班に分かれて、ボランティアの方の説明を聞きながら、平和学習フィールドワークを行いました。スタートは、爆心地公園からです。子ども達は、爆心地公園の慰霊碑の上空500mで原子爆弾が炸裂したことを知りました。
 これは、爆心地公園内に移設されている、被爆した浦上天主堂の外壁の一部です。子ども達は、このような被爆遺跡が至る所に残されている意味を知り、あらためて平和の尊さを感じ取っていました。
 ここは、被爆当時の地層が保存されています。原子爆弾によって破壊された家の瓦やレンガ、焼けた土や溶けたガラスなどがそのままの状態で見られるようになっています。原子爆弾の破壊力や怖さをあらためて実感する子ども達でした。
 次に、平和公園へ移動しました。平和公園では、まず、‟平和の泉”に設置されている、ある少女の手記を見ました。子ども達は、原子爆弾によって、からだ全体が焼けただれ、のどが渇き、水を求めて亡くなっていった多くの犠牲者の方々の冥福を祈り、あらためて「平和」を誓いました。
 また、平和祈念像についての説明を聞きました。像の天を指さした右手は、「原爆の脅威」を表し、水平に伸ばした左手は「平和」を、軽く閉じた瞼は「原爆犠牲者の冥福を祈る」という思いを表したものであることを知りました。
 ここは、山里小学校です。山里小学校は、爆心地から約700mの場所にあり、原子爆弾によって校舎北側の1、2階を残して倒壊しました。犠牲者は、先生と児童1,581人のうち、1,300人程度が一瞬のうちに亡くなりました。敷地内にある、永井博士が建立した‟あの子らの碑”に向かって、平和への誓いを立てました。
 山里小学校の次に訪れたのは、永井博士が晩年、2人の子ども達と暮らした‟如己堂”です。「己の如く隣人を愛せよ」という意味から‟如己堂(にょこどう)”と名付けられました。子ども達は、畳2畳の小さな部屋を眺めながら、永井博士が願った「恒久平和」と「隣人愛の精神」の象徴となっていることを知りました。
 如己堂を後にして、最後の見学地「浦上天主堂」に行きました。浦上天主堂は、明治28年に起工し、約30年間の歳月をかけて建てられた東洋一の教会でしたが、原子爆弾が投下され、一瞬のうちに爆風で崩壊しました。子ども達は、再建された浦上天主堂を見上げながら、あらためて平和の尊さを感じていました。
 平和学習フィールドワーク終了後、みんなで、平和学習の最後の見学地である片足鳥居を見に行きました。この鳥居は山王神社の参道にある鳥居で、もともと4つの鳥居があったそうですが、原爆による爆風で、この一本柱の鳥居だけが残ったということでした。約75年前の被爆を乗り越え、今でもバランスよく立ち、参道を行き交う人たちを見守っています。
 片足鳥居をくぐった先の参道に、倒壊したもう片方の鳥居が倒れたまま置いてありました。子ども達も、神妙な面持ちで倒れた鳥居を見ていました。
 山王神社に到着!山王神社の入口には、あの有名な樹齢500年と言われている被爆クスノキがありました。この大クスは、約75年前、原爆によって幹が焼かれ、葉も枝も燃え尽きたそうです。しかし、2年後、奇跡的に芽が吹きだし、現在では枝葉が豊かに茂り、その生命力をみなぎらせています。長崎出身のシンガーソングライター、福山雅治さんがこのクスノキの歌を歌っていることでも有名です。ぜひ、ユーチューブで視聴してみてください。
 被爆クスノキの大きな樹洞(木の穴)を覗きました。樹洞からは、クスノキ独特の強い匂いが漂ってきました。子ども達は、被爆クスノキの強い匂いを感じながら、クスノキが今もたくましい生命力を感じました。
 被爆クスノキの大きな幹に手を触れて、クスノキのパワーをもらう子ども達。大いにご利益がありそうですね。
 今日の活動がすべて終了し、ホテルに到着!「あ~、疲れた―――!」自分達のベッドにバタンキューです。お疲れ様でした。歩き疲れましたね。
 自分達の部屋で一休みした後、18時30分から、楽しい夕食の時間が始まりました。充実した一日を振り返りながら、子ども達の会話が弾みました。
 夕食が終わり、それぞれの部屋に戻ってフリータイムです。トランプやUNOをしたり、おしゃべりなどをしたりして、楽しい時間を過ごしました。
 部屋の中で、大いにはしゃぐ女の子達。みんなで、ジャーンプ!パチリ!記念の一枚ですね。明日も元気で頑張りましょう!