2021年11月28日日曜日

11月24日(水)6年修学旅行② ~平和学習・他

 11月24日(水)午後、浦上地区フィールドワークを行いました。本年度は、平和学習ボランティアガイドの予約が取れなかったため、先生方がガイド役を担って実施しました。フィールドワーク終了後、追悼平和祈念館で、実際に被爆された語り部の方による被爆者体験講話を行いました。子ども達にとって、大変充実した、素晴らしい平和学習となりました。


 3つの班に分かれて、平和学習フィールドワークを行いました。ここは、山里小学校です。山里小学校は、爆心地から約700mの場所にあり、原爆によって校舎北側の1、2階を残して倒壊しました。犠牲者は、先生と児童1,581人の内、1,300人程度が一瞬のうちに亡くなりました。敷地内にある、永井博士が建立した‟あの子らの碑”に向かって、平和への誓いを立てました。
 山里小学校の裏手には、防空壕が残されています。当時被爆して大けがを負った多くの人達が、この防空壕に避難してこの中で亡くなったということです。子ども達も防空壕の中を覗き込みながら、その狭さに驚いていました。
 山里小学校内には、原爆資料室があります。子ども達は、資料室に入って、当時の貴重な資料を熱心に見ながらメモを取りました。係員の方からも、資料の説明をしてもらったりして、学習を深めました。
 山里小学校の次に訪れたのは、永井隆博士が晩年、2人の子ども達と暮らした‟如己堂”です。「己の如く隣人を愛せよ」という意味から‟如己堂(にょこどう)”と名付けられました。子ども達は、畳2畳の小さな部屋を眺めながら、如己堂が、永井博士が願った「恒久平和」と「隣人愛の精神」の象徴となっていることを知りました。
 如己堂を後にして、次に訪れたのは‟浦上天主堂”です。浦上天主堂は、明治28年に起工し、約30年の歳月をかけて建てられた東洋一の大きな教会でしたが、原爆が投下された日、一瞬のうちに爆風で崩壊しました。子ども達は、再建された浦上天主堂を見上げながら、平和の尊さをあらためて感じていました。
 これは、当時原爆の爆風によって崩壊し、小川へ転げ落ちた浦上天主堂の‟鐘楼”です。原爆の恐ろしさを後世に伝えるため、被爆遺跡として当時のままに残されていました。
 子ども達は、浦上天主堂の原爆資料室も見学しました。首だけの石像が積まれていて、戦争への怒りが伝わってきました。子ども達も一つ一つの被爆遺跡を真剣に見つめていました。
 浦上天主堂を後にして、最後に訪れたのは、平和公園です。平和記念像を見ながら、天を指さした右手は「原爆の脅威」を表し、水平に伸ばした左手は「平和」を、軽く閉じた瞼は「原爆犠牲者の冥福を祈る」という意味があるということを知りました。
 最後に、‟平和の泉”に設置されている、ある少女の手記を見ました。「のどが渇いてたまりませんでした。水には油のようなものが一面に浮いていました…」子ども達は、原爆によって、体全体が焼けただれ、喉が渇き、水を求めて亡くなっていった多くの犠牲者の方々の冥福を祈り、あらためて「平和」を誓いました。
 平和学習フィールドワークが終わり、本日の平和学習のメインイベントである被爆者体験講話が、追悼平和祈念館研究室で行われました。この講話の語り部としてお招きしたのが、当時7歳で被爆した、三田村静子さんです。当時の悲惨な体験と平和への思いを語っていただきました。
 講話の最後に「(あ)あいさつ、(い)いのち、(う)美しい学校、(え)笑顔、(お)思いやり」を大切にして学校生活を送ってほしいと話がありました。子ども達も大きく頷きながら、三田村さんの思いを感じ取っていました。
 今日の活動が終了し、バスに乗ってホテルに行きました。18時30分から、楽しい夕食の時間が始まりました。充実した一日を振り返りながら、子ども達の会話も弾んでいました。
 夕食が終わり、それぞれ部屋に戻ってフリータイムです。トランプやUNOをしたり、おしゃべりなどをしたりして、楽しい時間を過ごしました。
 部屋の中で、大いにはしゃぐ女の子達。みんなで、ジャーンプ!パチリ、記念の一枚ですね。
 今日一日、大変お疲れ様でした。もうすぐ、消灯の時間です。おやすみなさ~い。明日も元気で頑張りましょう!