2020年11月16日月曜日

11月12日(木)6年修学旅行② ~平和学習・他

 11月12日(木)午後、平和学習ボランティアの方を4名お招きして、浦上地区フィールドワークを行いました。その後、追悼平和祈念館で、実際に被爆された語り部の方による被爆体験講話を行いました。 子ども達にとって、大変充実した素晴らしい平和学習となりました。


 4つの班に分かれて、ボランティアの方の説明を聞きながら平和学習のフィールドワークを行いました。スタートは、爆心地公園からです。この慰霊碑の上空500mで原爆が炸裂したことを知りました。
 次に、平和公園へ行きました。平和祈念像を見ながら、天を指さした右手は「原爆の脅威」を表し、水平に伸ばした左手は「平和」を、軽く閉じた瞼は「原爆犠牲者の冥福を祈る」という想いを表したものであることを知りました。
 平和公園の中も見て回りました。子ども達は、各国から贈られた平和の像やオブジェがたくさんあることを知りました。この写真に写っている像は、「乙女の像」と言って、1985年に中国から贈られたものです。鳩を左腕に乗せた一人の幸せそうな女性の姿を表現しています。
 平和公園を後して、次に向かったのが、山里小学校です。山里小学校は、爆心地から約700mの場所にあり、原爆によって校舎北側の1、2階を残して倒壊しました。犠牲者は、先生と児童1581人のうち、1300人が一瞬のうちに亡くなりました。敷地内にある、永井博士が建立した「あの子らの碑」に向かって、平和への祈りを捧げました。
 ここは、山里小学校校舎の裏手にある防空壕です。当時被爆して大けがを負った付近の多くの人達が、この防空壕に避難してこの中で亡くなっているということでした。子ども達も真剣にボランティアの方の話を聞いていました。
 山里小学校を後にして、永井隆博士が晩年、2人の子ども達と暮らした「如己堂」に行きました。「己の如く隣人を愛せよ」という意味から「如己堂(にょこどう)」と名付けられました。子ども達は、この小さい部屋を眺めながら、永井博士が願った「恒久平和」と「隣人愛の精神」の象徴となっていることを知りました。
 如己堂を後にして、最期の見学地「浦上天主堂」に行きました。浦上天主堂は、明治28年に起工し、約30年の歳月をかけて建てられた東洋一の大きな教会でしたが、原爆に日、一瞬のうちに爆風で崩壊しました。子ども達は、再建された今の浦上天主堂を見ながら、平和の尊さをあらためて感じていました。
 本日午後の平和学習のメインイベントである、被爆体験講話が追悼平和祈念館研究室で、16時より行われました。この講話の語り部としてお招きしたのが、当時10歳で被爆した、森田博満さんです。当時の悲惨な体験と平和への思いを語っていただきました。
 森田さんの貴重なお話に身じろぎもせず、一言も聞き漏らさないよう一生懸命に聴きながらメモを取る子ども達の姿にとても感心いたしました。被爆者の方が高齢のため年々減ってきている現状の中、大変貴重なお話を聞けたことに感謝、感謝です。平和学習のフィナーレに相応しい時間となりました。
 今日の活動が終了し、バスに乗ってホテルへ行きました。18時30分、楽しい夕食の時間が始まりました。子ども達は、ビニールの手袋を一人一人付けて、そして、一人一人配付されたトングを使って料理をつぎ分けていきました。その他にも、ホテルでは、コロナ対策がしっかりと取られていました。